文学の街仙台


 

日本の国内各都市と結ばれている仙台は、交通アクセスのよさがセールスポイントです。東京から東北新幹線で約100分という便の良さ、様々な交通の起点としての役割を果たしています。旅の出発はここから始まります。

仙台駅東口にあるこの広場は、島崎藤村が明治29年11月から、翌年7月に仙台を離れるまでの最後の数ヵ月間を過ごした「三浦屋」があった場所です。ここで書いた詩の多くが、日本近代詩の原点と評される『若菜集』におさめられました。この広場にしつらえられたベンチに腰をおろすと、いまはなき三浦屋の裏二階の部屋で、文机に向かう藤村の横顔が浮かんでくるようです。

晩翠草堂は土井晩翠が晩年に住んだ居宅で、空襲で家を焼け出された晩翠のために、旧制二高の教え子や市民が中心となって建てたものです。草堂の前には『天地有情』の碑も見どころです。

東北大学の前身である仙台医学専門学校に入学した魯迅が当時下宿した佐藤喜東治宅があった場所に、「魯迅故居跡」の石標が立っています。医者になることを志して魯迅が学び、その後文学の道を進むことを決意した仙台での1年半の暮らしに思いを馳せてみてください。

大学の歴史や集まった人々に関する資料を公開しています。明治40年に創設された東北帝大には、阿部次郎や小宮豊隆といった若き教授が集まり、自由でおおらかな校風をつくりました。第二高等学校片平記念苑には、土井晩翠が作詞した旧制第二高等学校歌碑があります。

学校の歴史と、創設者たちの偉業を顕彰しています。明治19年に仙台神学校として開校した東北学院は、キリスト教の精神に基づく幅広い人間教育を目指しました。島崎藤村が教壇に立ったほか、岩野泡鳴、押川春浪、山川丙三郎などが学びました。

大正12年に東北帝大の教授として赴任し『三太郎の日記』は青春の書として、多くの若者に支持された阿部次郎が私財を投じた日本文化研究所(昭和29(1954)年創設)の建物を改築・補修して、平成11年に開館。著作や書簡、書画などが展示され、その業績を顕彰しています。

郷土ゆかりの文学に関する資料を収集保存するとともに、地域の文学活動の拠点となる施設。3階展示室では、土井晩翠など仙台・宮城ゆかりの文学者を紹介する常設展の他、随時企画展も開催。1・2階のロビースペースでは、講演会やコンサートなども行っています。

ページの先頭へ戻る