亀岡八幡宮は度々その場所を移動していますが、天和(てんな)3(1683)年、仙台藩四代藩主伊達綱村公により青葉区川内亀岡(かわうちかめおか)町の現在地に再建されました。素木造(しらきづくり)、入母屋の屋根を有する拝殿と総朱漆塗流造(そうしゅうるしぬりながれづくり)の本殿でした。広瀬川を挟んで、北側には大崎八幡宮の森が見える位置になります。仙台第二師団司令部・兵舎が近かったこともあり、昭和20年の空襲で社殿にも延焼し、江戸時代の建物としては現在、鳥居(とりい)と石段だけが残っています。
鳥居は明神(みょうじん)鳥居で宮城県石巻市の井内石(いないいし)が用いられています。鳥居の金銅製の額の表には「亀岡八幡宮」、裏面には享保(きょうほ)3(1718)年に五代藩主伊達吉村公が謹書・献納したことが刻銘されています。
鳥居と額(附指定)は宮城県有形文化財に、石段は仙台市登録有形文化財に指定されています。