若林区南鍛治町(みなみかじまち)にある泰心院(たいしんいん)は、伊達氏14代稙宗(たねむね)の夫人泰心院の菩提寺で、米沢で創建されました。その後、岩出山(いわでやま)を経て慶長12(1607)年に現在地に移りましたが、度重なる火災のため、藩政時代の建物は現存していません。
この山門は、勾当台(こうとうだい)にあった仙台藩藩校養賢堂(ようけんどう)が明治維新後県庁舎とされ、正門が洋風の門に造り替える際に現地に移築されたものです。
一間一戸(いっけんいっこ)の四脚門(しきゃくもん)で屋根は切妻造(きりづまづくり)・棧瓦葺(さんがわらぶき)、伊達家の家紋「三引両(みつびきりょう)」と「九曜(くよう)」を配した漆喰塗(しっくいぬり)の棟や細部の装飾など重厚な外観となっています。
仙台藩では元文(げんぶん)元(1736)年に学問所を開設し、安永元(1772)年に養賢堂と名付けました。文化14(1817)年に講堂が完成し、正門もその時に建立されたものです。講堂などの建物は戦災で焼失したため、この正門が養賢堂の唯一の遺構で、仙台市有形文化財に指定されています。