物故者篇

仙台のそこかしこに息づく文学者たちの足跡をたどって。

物故者編では文学碑や資料を展示・紹介している施設、文学者たちにゆかりのある場所をご紹介します。時間と共に街並みは変わっても、変わらない何かが見えてくるはずです。

藤村広場(名掛丁)

仙台駅東口にあるこの広場は、島崎藤村が明治29年11月から、翌年7月に仙台を離れるまでの最後の数ヵ月間を過ごした「三浦屋」があった場所です。ここで書いた詩の多くが、日本近代詩の原点と評される『若菜集』におさめられました。明治女学校での教え子との失恋、親友・北村透谷の自殺といった心の傷を抱えたまま、東北学院の教師として来仙した藤村。心が受けた痛手は、仙台の人たちや街がいやしたのかも知れません。藤村は、のちにこの三浦屋のことを「私の隠れ家」と書いています。この広場にしつらえられたベンチに腰をおろすと、いまはなき三浦屋の裏二階の部屋で、文机に向かう藤村の横顔が浮かんでくるようです。

島崎藤村(しまざき・とうそん)

明治5(1872)年〜昭和18(1943)年馬籠(現・岐阜県)生まれ。詩人、小説家。『若菜集』をはじめ、『破戒』『夜明け前』など、数々の傑作を残しました。

晩翠草堂(大町二丁目)

土井晩翠と言えば、「春高楼(こうろう)の花の宴…」で始まるあの名曲、「荒城の月」を思い出す方も多いでしょう。晩翠草堂は土井晩翠が晩年に住んだ居宅。空襲で家を焼け出された晩翠のために、旧制二高の教え子や市民が中心となって建てたものです。草堂の前には『天地有情』の碑も。また、晩翠は昭和24年、本多光太郎や志賀潔と共に仙台市の名誉市民第一号に選ばれています。

土井晩翠(どい・ばんすい)

明治4(1871)年〜昭和27(1952)年 仙台市生まれ。詩人・英文学者。明治32年に詩集『天地有情』を刊行。その後、旧制二高の教授に着任。仙台で幅広い文学活動を展開しました。

魯迅下宿跡(米ヶ袋一丁目)

東北大学の前身である仙台医学専門学校に入学した魯迅。そのときに下宿した佐藤喜東治宅があった場所に、「魯迅故居跡」の石標が立っています。医者になることを志して魯迅が学び、その後文学の道を進むことを決意した仙台での1年半の暮らしに思いを馳せてみてください。

魯迅(ろじん/ルーシュン)

明治14(1881)年〜昭和11(1936)年 中国紹興生まれ。小説家・思想家。明治37年から仙台医学専門学校に学ぶも、文学を志し退学。帰国後、『狂人日記』『阿Q正伝』などを発表し、「中国近代文学の父」と称されています。

東北大学史料館(片平二丁目)

明治40年に創設された東北帝大には、阿部次郎や小宮豊隆といった若き教授が集まり、自由でおおらかな校風をつくりました。史料館では大学の歴史や集まった人々に関する資料を公開。第二高等学校片平記念苑には、土井晩翠が作詞した旧制第二高等学校歌碑があります。

東北学院史資料センター(土樋一丁目)

明治19年に仙台神学校として開校した東北学院は、キリスト教の精神に基づく幅広い人間教育を目指しました。島崎藤村が教壇に立ったほか、岩野泡鳴、押川春浪、山川丙三郎などが学びました。史資料センターでは、学校の歴史と、創設者たちの偉業を顕彰しています。

岩野泡鳴(いわの・ほうめい)

明治6(1873)年〜大正9(1920)年 兵庫県生まれ。詩人・小説家。明治24年に東北学院に入学し、学内雑誌に創作や評論を執筆。著書の『神秘的半獣主義』で、仙台時代を回想しています。

押川春浪(おしかわ・しゅんろう)

明治9(1876)年〜大正3(1914)年 愛媛県生まれ。小説家。父・押川方義は東北学院の創設者であり、春浪自身も東北学院に学んでいます。明治33年発表の『海底軍艦』で、少年少女の絶大な支持を得ました。

山川丙三郎(やまかわ・へいざぶろう)

明治9(1876)年〜昭和22(1947)年 新潟県生まれ。英文学者。東北学院に学び、アメリカに留学。ダンテに傾倒。生涯をかけて『神曲』の翻訳に取り組みました。

阿部次郎記念館(米ヶ袋三丁目)

阿部次郎が私財を投じた日本文化研究所(昭和29(1954)年創設)の建物を改築・補修して、平成11年に開館。著作や書簡、書画などが展示され、その業績を顕彰しています。

阿部次郎(あべ・じろう)

明治16(1883)年〜昭和34(1959)年 山形県生まれ、哲学者。大正12年に東北帝大の教授として赴任。『三太郎の日記』は青春の書として、多くの若者に支持されました。

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