モデルコース

Modelcourse

伊達な歴史の新体験|達人コース~五郎八姫を訪ねる~

まち歩きの達人、佐藤康子がおすすめするコースです。
伊達政宗公の長女五郎八(いろは)姫が住んだ仙台城跡を二の丸・本丸・三の丸の順で歩き、五郎八姫と家族の暮らしをしのぶコースです。大橋を渡りキリシタン殉教碑もたどります。
<距離約4.8km 約2時間30分 高低差85m>

01

地下鉄東西線 国際センター駅こくさいせんたーえき

02

扇坂おうぎざか

仙台城二の丸では藩主やその家族が暮らしていました。二の丸の御殿エリアに入る正門は詰門(2)ですが、藩主の出入りや儀式など特別な時のみに使われていました。日常的な出入り口としては、二の丸北東にある扇坂(1)から入り台所門や裏門(2)が利用されていました。

(1)扇坂の遊歩道と案内板

(1)(2)古絵図で見る扇坂と詰門、裏門など
「享和二年之御家作御絵図写」宮城県図書館所蔵

03

二の丸跡(東北大学川内キャンパス)にのまるあと

二の丸は現在の東北大学川内キャンパス(3)敷地内にありました。政宗公没後、五郎八姫の弟で二代藩主の忠宗公は政宗公の遺言に基づき、若林城の建物を移築・再利用して二の丸を整備しました。二の丸「表」の御殿群(4)では藩政に関係した儀式や会合を行い、二の丸北西部にあった「中奥」(4)と呼ばれる場所には藩主の側室や子供達、それに仕える女中達が暮らしていました。「中奥」は江戸城の大奥と同じような場所で、原則として藩主以外の男性は立ち入ることができませんでした。二の丸完成後は本丸が限られた儀式でしか用いられなくなり、二の丸が仙台城の中心施設となりました。

(3)東北大学川内キャンパス
写真提供:東北大学

(4)二の丸の施設
「享和二年之図御家作御絵図写」宮城県図書館所蔵

(4)二の丸跡 案内板

04

西屋敷跡(東北大学附属図書館)にしやしきあと

京都で生まれた五郎八姫は母愛姫や弟忠宗公らとともに人質として大坂や江戸でも暮らしていました。13歳で徳川家康の六男、松平忠輝と結婚しましたが、その後離縁となり27歳から仙台で暮らしました。五郎八姫の住まいであった西屋敷は現在の東北大学附属図書館(5)の場所にあり、発掘調査では庭園の礎石や建物跡が発見されています。これは二の丸が造営される以前のことで、西屋敷の南側には政宗公の四男宗泰公の屋敷(6)があったと伝えられています。この宗泰公屋敷跡の範囲から珍しい南蛮人の形の志野焼陶器(7)が見つかっています。

(5)東北大学附属図書館
写真提供:東北大学

(6)伊達宗泰公の屋敷と西屋敷

(7)伊達宗泰屋敷跡から出土した南蛮人の人形(東北大学埋蔵文化財調査室)
写真提供:東北大学

05

支倉常長像はせくらつねながぞう

支倉常長は1613年政宗公の命を受けフランシスコ会宣教師ソテロと共に慶長遣欧使節を率いメキシコ経由でスペイン・ローマへと旅立ちました。メキシコの大使ビスカイノらが同行しました。スペイン滞在中、常長はキリスト教の洗礼を受けましたが、結局使命を果たすことが出来ず仙台へ戻ってきたのは7年後の1620年。同じ年、五郎八姫も江戸から仙台へと移っています。支倉常長像(8)は使節の寄港地などに設置されています。

(8)支倉常長像

06

大手門跡おおてもんあと

仙台城の大手門は二階建ての脇櫓を伴う瓦葺の門でしたが、1945年空襲のため焼失。現在は再建された脇櫓 (9)と北側に延びる漆喰の土塀(10)(仙台城唯一の現存建築物)を見ることができます。

(9)再建された大手門脇櫓

(10)大手門北側に現存する土塀

07

仙台城見聞館せんだいじょうけんぶんかん

仙台城本丸跡に建つ仙台城見聞館(11)には、1610年に完成した本丸大広間の模型(12)や発掘調査で見つかった金銅金具や陶器、ヨーロッパ産ガラス器などが展示されています。政宗公が座った「上段の間」の床が実寸大で再現され、「桐と鳳凰」の障壁画も再現されています。豪華絢爛な大広間の様子を垣間見ることができます。

(11)仙台城見聞館

(12)「仙台城主要建物及び江戸上屋敷姿絵図」に描かれた本丸大広間(仙台市博物館蔵)

08

大広間の遺構表示おおひろまのいこうひょうじ

資料や発掘調査をもとに礎石跡の位置に新たな礎石を配置して、本丸御殿の中心的建物であった大広間の建物規模や部屋割りを表現しています。「千畳敷」とも呼ばれた大広間の大きさが実感できます。藩主が座った「上段の間」や天皇や将軍を迎えるためといわれる「上々段の間」、豪華な障壁画で飾られた数々の部屋、部屋の周囲に巡らせた板敷の縁など、実際に歩きながら当時の大広間を身近に感じることができます(13)。

(13)大広間の遺構表示

09

懸造跡かけづくりあと

眼下に広瀬川を望む断崖上に、京都の清水寺の舞台のような懸造という建物がありました(14)(15)。1606年、結婚を控えた五郎八姫は父の城である仙台城を訪れ数か月を過ごしました。先祖を祀る盂蘭盆の夜に姫は父の政宗公とともに仙台城の楼上から城下を眺めたといいます。そこには侍屋敷から町屋まで残らずかけられた灯籠の灯りが輝いていました。「楼上」が懸造のこととは断言できませんが、この場所からは仙台の町を一望することができます。同年12月24日に姫は松平忠輝と結婚しました。

(14)懸造跡 案内板

(15)「仙台城主要建物及び江戸上屋敷姿絵図」に描かれた懸造(仙台市博物館蔵)

10

仙台市博物館せんだいしはくぶつかん

本丸からの帰路は、沢門跡から急な坂を下り清水門跡を通り三の丸へと向かいます。この道は政宗公築城当時の登城路と考えられています。本丸へ通う藩士たちは日々この坂を登っていたのでしょう。仙台城三の丸跡地に建てられているのが仙台市博物館です(16)。築城当初は、ここに政宗公の屋敷や庭園があったと考えられています。二代藩主忠宗公が二の丸を造営した後には、米蔵を置く蔵屋敷となりました。

(16)仙台市博物館

11

片倉家屋敷跡/追廻かたくらけやしきあと/おいまわし

大橋のたもとには仙台藩の重臣片倉家の屋敷(17)があり、その背後には「追廻」(18)と呼ばれる大きな馬場がありました。馬術の指南役や馬の飼育に関わる藩士の屋敷もありました。

(17)片倉家屋敷跡

(18)追廻

12

大橋おおはし

広瀬川にかかる大橋(19)は仙台城と城下を結ぶ主要な通路です。大橋を城下側に下って振り返ると、石垣で護られた対岸を眺めることができます(20)。「追廻」の馬場で調教される馬たちのいななきが聞こえてくるような景色です。

(19)大橋

(20)広瀬川の護岸石垣と追廻

13

キリシタン殉教碑きりしたんじゅんきょうひ

大橋を城下側へ渡ると左手にキリシタン殉教碑(21)があります。1624年仙台藩によるキリシタン取り締まりのため、イエズス会のポルトガル人宣教師カルワリオ神父と信者が仙台領内北部で捕らえられ、広瀬川河畔の水牢で殉教しました。1971年に建立されたブロンズ像は、中央がカルワリオ神父、左は武士の殉教者、右は農民の殉教者を象徴しています。

(21)キリシタン殉教碑

14

地下鉄東西線 大町西公園駅おおまちにしこうえんえき

マップ

このページのジャンル